ロイヤルゴールドスミス

バタバタと駆け込む足音が、この作業場に居ても大きく聞こえてくる。
「……ったく、あいつホントに落ち着きがないな。」
騒がしい気配に集中を断たれた男は、うんざり呟くと凝った首を回して息を吐いた。
そのまま両腕を上げ一つ長い伸びをすると、高い位置に結い上げた黒い髪が揺れる。
深呼吸して肩を降ろしたと同時に、背後で作業場の扉が乱雑に押し開けられた。
「決まった!決まったぞ、マーリューシオ!」
大声を張り上げて入ってきたのは若いエルヴァーンで、少し目尻の垂れた善人顔の男だ。
「そんな大声を出さずとも聞こえている。もう少し場の空気に配慮したらどうだ、ラモンド。」
――ここがどこだか、わかっているだろう?
マ―リューシオと呼ばれた黒髪の男は、腰掛けたまま上体だけ扉に向けた。
「うわ、汚ねっ。」
「おい!随分な挨拶だな。それが人の顔を見て言う台詞か。」
「だってよう……」
振り向いた男の顔には顎から頬までびっしりと髭が生え伸び、最早、無精髭の枠に収まらぬ体を示していた。
「マーリューシオ、一体何日詰めているんだ?」
「さあな。もう今日の日付さえ定かじゃない。」
思い返す振りさえ見せず、マーリューシオはあっさりと言う。
そんな友人を見て、ラモンドは呆れ混じりに息を抜いた。
「本当にお前は熱心だなあ。感心するよ。」
別に感心されたくてやっている訳じゃない、と、男は無表情に声を返す。
「で、決まったのか?」
それを聞いて思い出したように、ラモンドは再び歓喜の声を張り上げる。
「ああ!そうだ、マーリューシオ!お前が次の王室御用達だ!」



今も昔も、サンドリア王国に彫金ギルドはない。
王国で伝統を持つのは鍛冶工であり、彫金などを志せば変わり者として白い眼を向けられるのが常である。
しかし、どの時代にも少なからず変わり者はいるもので、伝統深い鍛冶ギルドにもそんな輩が一人存在した。
それがこの、マーリューシオという男である。



「皆も大騒ぎでさ、近い内に祝賀会でもやるかって盛り上がってたよ。」
喜色満面の親友の話を、男は他人事のように聞いている。
「どうした、マーリューシオ? もっと喜べよ。」
「……悪いが、祝賀会はお前らだけでやってくれ。」
「えっ?」
「俺は、まだ作業が終わらん。」
そう言い捨てるとマーリューシオは作業机へ目を戻し、愛用のキリを取る。
「おいおい、自分のことなんだからもっと、」
「――今回の話は、辞退しようと思う。」
「何だと!?」
思わぬ発言に、ラモンドが驚いて詰め寄った。

「正気か? 王室付きだぞ?」
「俺にはまだ早い。」
男は背を向けたまま、短く答える。
「早いって、そりゃ年齢的に考えても異例の大抜擢だとは思うさ。
 それでもお前の腕を認めてるんだ。遠慮することはないだろう。」
遠慮……とは違う。マーリューシオは心の中だけで思う。
自信が無いのとも異なる。奢らぬ程度に自信はある、覚悟もだ。
でなければ、とっくにギルドに戻っていた。歴史の無いものを続けるには、この国は排他的過ぎる。
「――とにかく、まだ早いんだ、俺には。」





父が鍛冶工だったこともあり、マーリューシオは幼い頃から鍛冶ギルドに出入りしていた。
遣いに弁当を運ぶことから始まり、見真似で工具をいじり出す。
父親は厳格な職人気質であったが、幼子の遊び半分を叱ったりはせず、
ただ危ない事してはならぬ事だけを指導した。
そんな奔放さが想像力を養ったのか、少年の作る品には従来の鍛冶にない装飾が施されていた。
当初は子供の遊びと馬鹿にしていた職人達も、めきめきと才を伸ばす彼に一目置き始め、
遂には少年の真似をする者まで現れた。
特に、ギルドの若い見習達には彼に感化される者が多かった。
「お前、もうここへ来るのは止めろ。」
父にそう告げられたのは、彼が思春期に差し掛かった頃であったか。
最初は反発した。父が己の才能に嫉妬しているとまで思い上がった。しかし。
「お前のやっていることはもう鍛冶ではない。」
――それは、彫金だ。
父の言葉に少年の目から鱗が落ちた。

結局、程なくしてマーリューシオはギルドを脱退した。
彼の仲間は思い直すよう諭したが、既に彼の目は他方へと向けられていた。
ところで――彫金といえばバストゥークである。
騎士の国サンドリアにおいては、刀剣に質実剛健を追従し、鋭い切れ味や耐久性などを求める。
鍛冶が栄えたのは偏にその為であるが、反面、装飾は画一的な紋様ばかりで面白みが少ない。
対し、バストゥークは先ず、その豊富な資源を精製する為に鍛冶や彫金が興った。
器用なヒューム達によって彫金加工は次第に芸術性を増し、今日の細工を作り上げたが、
サンドリアの伝統は未だそれを受け入れる節が少ない。

現代の世であれば、職人が他国へ修行に渡ることは比較的容易なことだろう。
しかし当時はまだ各国の隔たりが強かった。
従って、マーリューシオが彼の国へ旅立つことは難しく、例え行ったとしても
そこで受け入れられるとは考え難かった。才が秀でていれば尚更のことである。

サンドリアにあって、若い彼は道に行き詰まった。
彫金を意識すればするほど深みに嵌る。ギルドを離れたことによって受ける周囲からの冷たい扱い
――ギルドに残った仲間は変わらぬ友情で支えてくれたが――も、彼を押し潰した。

苛立ちに荒み、マーリューシオが頓挫しかけた頃、父親が珍しく彼を外出に誘った。
こうしてギルド以外で親子が時間を共有することは殆どなく、どこか気まずい中、二人は郊外を行く。
辿り着いたのは、ロンフォールにある小さな石塔だった。
「ここは……?」
問い掛けを聞き流し、父は扉を叩く。
そして主の返答も聞かぬうちに中へと入っていった。
開いた入口からは熱気が押し寄せ、鉱物の焼けた匂いが漂う。
どうやら、ここは何かの作業場であるらしい。
「……おう。」
「ああ。」
短い応酬があり、マーリューシオは人の存在を知る。
「こいつを、頼む。」
それだけ言うと父は相手に息子の紹介すらせず、さっさと帰宅した。
マーリューシオは事態を飲み込めぬまま、知らぬ男に身を託される。
男はまだ老人と呼ぶほどでもないが、父よりも年上であることに間違いなかった。
「あの、」
「お前が、はぐれ者か。」
「ハ?」
「噂は聞いている。あの国で小手先細工にうつつを抜かしているそうだな。」
――小手先細工。
何度、無理解な連中にそう冷笑ことだろう。
こいつもか。禁忌に触れられ、マーリューシオは激昂した。
「こんな易い言葉に挑発されるとは、まだまだ青いな。」
「何だと。」
「……何か、作ってみろ。3日でだ。」
「なぬ。」
男はマーリューシオに道具と鉱物の在り処を示すと、それっきり彼の相手をしなくなった。
作業に篭りだしたのだ。
未だ男の正体はわからない。しかし、侮られたままでは癪に障る。
「いいだろう、作ってみせようじゃないか。」
マーリューシオは卓上の工具を握った。

3日の内に作れる物など、たかが知れていた。
輝石は用意された材料の中になかったし、刀身を鍛える間もないので武器も無理である。
「髪飾り、くらいかな。」
当時クリスタル合成はまだまだ浸透しておらず、前衛的なバストゥークの職人でさえ、
それを用いることは敬遠していた。
やはり自ら手を入れた方が納得の行く出来になるらしい。
ともあれ、マーリューシオは目処をつけると作業に取り掛かった。

これまで行き詰まっていたのが嘘のように、彼の手は滑らかに動く。
いつもと違う空気が活力を与えたのか、或いは男の挑発に衝き動かされたのか。
理由は知れぬが、マーリューシオは久し振りに没頭した。
作業が楽しい。彼は活き活きと腕を揮う。
そして出来た髪飾りは、会心の作と自負出来る物に仕上がった。

「見ろ、出来たぞ!」
マーリューシオは威勢良く男の元へ乗り込んで行く。
――だが。
その後姿に近づいたマーリューシオは、一瞬の内に意気を萎ませた。
座った男の背中越しに見えた品が、あまりに自分を凌駕していたからだ。
遠目でも判る。それはもう格が違っていた。
「あっ、俺……」
声を失う少年に、男は顔も向けずにいる。
マーリューシオは己の未熟さと自惚れに逃げ出したい気分だった。
「若いな。」
漸く男がこちらを見る。その表情からは何も読み取れない。
「お前、彫金をやりたいか?」

少年は悩む。今この直前まで、自分はバストゥークの職人にも劣らぬと過信していた。
もう既に彫金をやっていると思い込んでいた。
しかし、全てはまだ真似事の域に過ぎなかったのだ。
「……したい、です。」
今度こそ、この手で本当の彫金を。
マーリューシオはただ強く望む。
「いいだろう。」

――では、生涯忘れるな、今の決意を。

それが、師オーギュストの最初の言葉だった。



師と言っても、オーギュストが少年に教えを下すことはあまり無かった。
いつかマーリューシオは不安を訴えたことがある。それに対し、師は、
「お前は鍛冶をどう習った?」と問い返した。
「どう……?」
思い返したところで、父からは最低限のことしか習った記憶がない。
「ならば、それと同じだ。」
大事なことは目で見て、肌で覚えろ。
その言葉に、幼い頃、焼き付けるほどに父の手を観察した覚えが蘇る。
ああ。
師はいつも何かを作り続けている。それ以上のことは一切しない。
マーリューシオは悟った。
実父が己をここへ連れてきたのは、彫金においての“父”を与える為だったのだと。

マーリューシオが師の元を離れたのは、それから数年経ってのことだ。
少年だった彼も、その頃には立派な青年へと成長を遂げていた。
「元々、お前に教えることは何もなかったのだ。」
初老のエルヴァーンは言う。
間違った方向に芽が伸びぬよう、添え木となればそれでよかった。
「もう助けなど要らぬ。後は自分で見つけていけば良い。」

深く一礼を残すと、マーリューシオは岩塔を後にした。





「……嬉しくないのか?」
不意に、ラモンドの声が青年の耳に聞こえてくる。
ほんの一瞬、マーリューシオは回想に現実を忘れていたようだ。
「師匠と同じ御用達になるのは、お前の夢だったじゃないか。」
実のところ、師オーギュストとは、王室の彫金細工を一手に請負う職人なのであった。
それは、サンドリアにあって唯一認められた彫金師といっても過言ではない。
「ああ、確かにそれは俺の夢だ。だが、」
「ならば、何を迷う必要がある?」
男は黙り込む。
若かりし日、自惚れたまま師へ挑んだことが脳裏に浮かぶ。
「俺の腕は、昔に比べて上達してきていると思う。
 だが、王室職人になるには時期尚早だと……そう思う。」
あと何十年、いや数年でもいい。もう少し修行がしたい。
今の自分を王室付きと認めて満足したくはないのだ。

「――だから、お前は若いと言うんだ。」

開いた扉から、しわがれた声がした。
「オーギュスト師!?」
驚いて立ち上がると、マーリューシオは老人の元へ駆け付ける。
数年振りに会う師は相変わらず健勝だったが、しかしその鍛えた身体にも
確実に老いが忍び寄ってきているようだった。
「お前の鍛冶仲間が、ワシのところにも来たぞ。」
無論、彼の友人が行かじとも、未だ現役王室職人であるオーギュストなら、
とうに吉報を耳にしていたことであろう。
老師に席を勧め、男達は囲むようにその脇へ立つ。恐縮したようにマーリューシオが口を開いた。
「師匠自らこんなところへ見えなくとも……。」
「ああ、全くだ。久し振りに街中を歩いたわい。」
「それで、今日は、」
「――駄々を捏ねているだろうと思うてな。」
オーギュストは、青年が今回の話を反故にするだろうと予測した。
何故なら、かつて自分もそうであったからだ。
「誰でも考えることは同じだ。」
「……。」
「それで、その時ワシが先代に言われた言葉を言いに来た。」
「?」

「そろそろ、ワシを休ませてくれ、とな。」

フフ、と老師は笑う。
本心で休みたいと願った訳ではない。それらしい口実で背を押す。
それしかもう、愛弟子にしてやれることがないと知ったのだ。
その嬉しいような寂しさに、あの時、先代もそうだったのかと思うと自然と笑みが零れる。
「マーリューシオ、このままいた所でお前は大して変わらん。」
更なる成長を望むなら先へ進み、在り続けることが成ることより遥かに険しいと身を持って学ぶのだ。

「後は、任せたぞ。」

老師の登場によって、マーリューシオに退路は絶たれた。





マーリューシオの、王室彫金師としての最初の仕事は、とある書籍箱の鍵作りであった。
王室付きになってから3年。漸く任された仕事だ。
勿論、3年もの間、ただぼんやりと時を過ごしてきたわけではない。
彼には先ず覚えなくてはならないことがあった。――王国の紋章である。
その刻みの、ほんの些細な歪みですら許されない。
決まった形をいつでもどの大きさにでも自在に彫れるようにならなくてはいけなかった。
そして今回、その最終試験として、紋章を刻んだ鍵を受注されたのだ。

「マーリューシオ、型が出来たぞ!」
相変わらず、親友はバタバタと彼の作業場に乗り込んでくる。
「……ああ。」
マーリューシオも変わらず、その騒がしさにうんざりと声を返した。

「これが書籍箱の鍵穴。現物だ。」
ラモンドは金細工を貼る前の、硬い鉄の錠前を取り出してマーリューシオに見せる。
今回の鍵は飾りではなく実際に使用するものとして、既に新しい箱作りが始まっている。
ラモンドもまた、鍛冶ギルドの職人としてそれに参加しているのだ。
「木工の連中は仕上げに入ったそうだ。次はウチが金物の取り付けに掛かる。」
取り付けてしまえば、錠の仕掛けはもう変えられないと思っていい。
「まあ、型さえ取ってあれば、お前の方は何度でも遣り直しが利くが、」
「いや。一度で決める。」
「そうか。」

ラモンドから原型を受け取ると、マーリューシオは早々に鍵の作成に入った。
一度の彫金で完成させると宣言したものの、正直あの紋章を規定通りに刻めるか判らない。
この3年、毎日眺めた王国の旗を取る。
マーリューシオは先代による紋章細工も持っていたが、そちらは今、手にする気になれなかった。

――答え合わせは、最後にするものだ。

青年は一つ大きく深呼吸すると、それから長い間、不眠不休で作業に集中した。



「居るか、マーリューシオ!」
その声の大きさに、今日ばかりは流石にマーリューシオの神経も逆撫でされた。
「おい、ラモンド!俺は作業中だと、お前にもわかっているだろう?」
珍しく立ち上がり、肩を怒らせて扉を開ける。
今日こそは一言、いや二言でも三言でも、ラモンドに言って聞かせなくては気が済まない。
だが、入り口で彼を迎えたのは友人だけでなく、見知らぬエルヴァーンも一緒であった。
「アンタは?」

「あの、本当に申し訳ありません!」

自らの素性を明かす前に、青年は必死に謝りだす。
「ラモンド、これは一体?」
「それが……実は、」

「――何だと?」

書籍箱が、台無しになった。
苦々しい声で友人はそう切り出した。
「申し訳ありません……。」
彼は木工ギルドの新米職人で、今回の書籍箱作りに参加した一人であるらしい。
「ウチの金物細工があがったので、木目を磨くのに再度木工ギルドへ箱を渡したんだ。」
災厄は、そこで起こった。
艶出しの上薬が、今回の木材には強すぎた。表面にムラが浮いてしまったのだ。
薄め液の配分を担当したのが、目の前に立つダヴィドだという。
そして更に悲劇は起こった。
再利用を図り、箱から金物を剥がしたのだが、よりによって錠だけが歪んでしまったと言う。
鍵の形が合わなくなってしまったのだ。
既存の鍵に合わせて錠をあつらえるのは難しい。
従って、苦渋の判断ではあるが、双方とも改めることになったのだ。
「本当に、申し訳ありません!!」
青年は深く腰を折り、懸命に謝り続ける。
俯いた顔では唇を噛み締め、その瞳が潤むのを一心に堪えているようだった。
「……わかった。わかったから、あんまり大声を立てないでくれ。寝てないんだ。」
マーリューシオは溜息混じりにダヴィドを諌める。
「はい、申し訳……ありません……。」

「それでマーリューシオ、お前、どこまで進んでいた?」
何も今ここで聞かなくても良いものを。
友人の間の悪い質問に、彼はもう一度嘆息した。
黙ったまま、作業机から黄金の鍵を運んでくる。
まだ完成の体ではなかったが、その出来栄えにラモンドは息を飲み、ダヴィドはただ項垂れた。
「こんな素晴らしい鍵が出来てたというのに……。」
青年は悔やんでも悔やみきれぬと言った風に声を詰まらせる。
「起きてしまったことは仕方ないだろう。」
問題は遣り直す時間があるかどうかだ。
しかし、その期待にラモンドは首を横に振る。
「はっきり言って、期日は延ばせない。それが城からの返事だ。」
既に与えられた日数の半分は経過している。
つまり、これまでと同じ流れでは完成しない、という結論に他ならなかった。

「少し、眠らせてくれ。」

観念したように、マーリューシオは大きく息を吐いた。
「どうする、この紋章を仕上げて、新しい鍵にプレートとして貼るか?」
ラモンドの意見に、男は強く非難の眼を返す。
「そんなことが出来るか。」
「だが、時間が、」
「何度でも作る。全く同じ物をだ。それが出来なければ俺はこの仕事を続けられん。」
これは、試練だ。
己が本当に王室職人として成り立てるか見極められるのだ。
その代わり、ここで踏み止まれれば、きっとこの先もやっていける筈だ。

友人と木工ギルドの若者はもう居ない。それぞれの仕事に戻っていった。
マーリューシオは、再びの大事と向き合う前に、一晩無駄にする覚悟で眠りに付くことにした。





滑らかに光沢を返す金の色をじっと見詰めて、男はこの数日を振り返っている。
結局、マーリューシオは全てを成し遂げた。
今になってみれば、最初の時の方がよっぽど内なる声に惑わされていた気がする。
二度目は、迷う暇もなかった。
切羽詰った分だけストイックに仕事が出来たのは、これまでいかに無駄があったかということだ。
怪我の功名、なんて言葉で片付けたくはないが。
「……。」
マーリューシオは今一度、完成した紋章入りの鍵を目線上にかざしてみる。
続け様に先代職人による紋章細工を手にとると、そのまま見比べた。
不安は確かにある。
しかし、それ以上に満足感が込み上げてくる。
――きっと、大丈夫だ。
今の気持ちもただの自惚れかもしれない。また失意に沈むこともあるかもしれない、だが。
「俺は大丈夫だろう。」
わざと声に出して言い聞かせる。
それは“職人”という己との長い戦いへ向ける、所信表明のようでもあった。

もう数時間もすれば、城からの遣いが鍵を引き取りにやってくるだろう。
その後、同じように完成品を渡した友人が、騒々しくこの扉を叩くのだ。
ひょっとして、あの情けない新米職人まで現れるやもしれぬ。
ありありと浮かぶ光景に、マーリューシオは眉尻を下げて薄く笑った。





御用達とは言え、ただの職人がその手掛けた品の披露に呼ばれることはない。
しかも、今回の注文は書籍箱とその鍵といった、披露すらあるか判らぬ事務用具だ。
大体、引き渡してしまえば、それはもう終わった仕事である。
執着する間もなく、マーリューシオには新たな依頼が申し付けられていた。
次の仕事は、城内の扉飾りの研磨と補修である。
城内にある扉全てではないが、その数はとても多い。
とは言え、実は扉飾りには予備があり、事前に交換し改修の必要な物だけ
マーリューシオの所へ運ばれてくることになっている。
今度は、期日に煽られぬ気安い仕事だった。
そして、その日も男は続く作業に精を出していたのだが――。

バタバタと二つの足音が駆け込んでくる。
気配に気付いたマーリューシオは、毎度邪魔される流れを読んでヤスリを置いた。
足音の一つは古くからの友人のもの。
そしてもう一つは、先だって知り合った若い木工職人のものだろう。
うるさい輩が増えた現実に思うところがないでもないが、息抜きも必要かと諦める。
今日は一体どんな失敗でもしてきたのか、と男は客人の話に想像を巡らせた。

しかし、今日の彼らの話は、マーリューシオにとって思いも寄らぬ内容であった。

「あの、あの鍵が、捨てられることになった。」
ゼイゼイとまだ息を切らし、ラモンドは第一声を放つ。
「何?」
マーリューシオは怪訝そうに眉をひそめる。あの鍵、とは先に彫金した物のことだろう。
「いえ、捨てられるのとは違います。埋められることになったんです。」
若いダヴィドが口を挟むが、似たようなもんだ、とラモンドに窘められた。
「ちょっと待て、お前ら。さっぱり事情がわからん。」
「マーリューシオさんは、あの箱の用途は知ってましたか?」
「いや……?」
「実は、あれは王城の設計図を仕舞う為にあつらえたそうなんです。」
「ほう。」
それは結構、と男は感慨もなく聞き流す。
「予定通り書籍箱には設計図が入れられました。ですが、問題はその次です。」
「――そんなお宝と鍵が近くにあっては、事件の火種になるという声が上がったんだ。」
青年の説明を受けて、友人がその後に続いた。
「城の連中もその可能性を否めず、対策を立てた。
 と言っても単純に箱と鍵を引き離すことにしたんだが、
 城としては設計図は手元に残しておきたい。とすれば、だ。」
「鍵の方を遠くへやるしかない、という訳か。」
マーリューシオの読みに、二人は黙って頷いた。

「別に、いいんじゃないか?」

流れの筋は通っているし、そもそもあの鍵は自分の物ではない。
所有者が判断して決めたことに、どんな異議を申し立てろというのか。
「でも、精魂詰めて手掛けた初めての品が、捨てられるなんて……」
「だから、捨てられるんじゃなくて埋められるんですって。」
「あんなとこに埋められるんじゃ、捨てられたのと同じじゃないか!」
「お前ら、うるさい。どっちでもいいが――どこに埋められるんだって?」
「……バタリア。」
「ほう、ジュノか。」
「いや……バタリアだ。」
「知ってるよ、バタリア位。だから、ジュノの目と鼻の先じゃないか。」
ラモンドは首を横に振ると、そうじゃない、と呟くように言った。

「バタリアはバタリアでも、南海に浮かぶ離れ小島の方だ。」

思わず、マーリューシオは絶句した。



確かに、犯罪防止に分つのだから、そうそう発見されやすいところに埋めることはないだろう。
「まあ、随分辺鄙な場所を選んだものだとは思うが。」
「マーリューシオ……。」
それでも納得した顔を見せる男に、むしろ友人達の方が落ち着かない様子で視線を泳がせている。
「何だ?どうかしたのか?」
「いや、その……」
「だから、早計じゃないかと言ったんです。」
「お前だって同調してたじゃないか。」
ひそひそ声でいさかう二人に、マーリューシオは嫌な予感を覚える。

「お前ら、一体何をしてきた。」

「いや、だから、その、」
「実は……」
「お前が反対するんじゃないかと思って、先に役人のところへ乗り込んじまった。」
「ほんと、すいません!」
ラモンドとダヴィドは一度顔を見合わせると、腹をくくったように白状した。

呆然と、男は二人の話を聞いている。

「初めての作で、しかもあんだけ苦労して、あの鍵には随分思い入れがあるんじゃないかと思ってさ。」
「実は僕の方が、迷惑掛けた分、気にしていたのかもしれませんね……。」
「俺も、自分がショックだったから、マーリューシオを口実に盾突いたのかもしれないな。」
「……お前らの厚い友情には感謝するよ。感謝はするが、その後どうしたんだ?」
男の言及に、再び友人達は視線を合わせた。
「……するって、言っちゃった。」
「聞こえない。」

「どうしても埋めなくちゃいけないなら、自分達で引導渡すって啖呵切っちゃった。」

「阿呆か!?」
乗り出して怒鳴るマーリューシオに、ラモンド達は肩をすぼめて身を縮める。
「丸腰の俺達だけで、どうやってあんなとこに行こうってんだ。」
「本当に、すいません……。」
話にならぬ、と男は客を残して玄関に向かう。
「マーリューシオ、何処へ行くんだ?」
「決まってるだろう。取り消してくるんだよ!」
「それが、もう、」

「手遅れだよ。」

突如、知らない声が、男達の間に割って入った。

「アンタは?」
開いた扉の前で、マーリューシオは赤い髪の女と対面する。
女だてらに黒い皮の鎧を纏った姿からして、この人物は冒険者と呼ばれる“ならず者”に違いない。
「アタシはシュザンヌ、公認冒険者。マーリューシオってのは誰?」
「俺だが……公認だろうがなんだろうが、冒険者に用は無い。俺は急いでるんだ。」
マーリューシオは立ちはだかる女の脇を抜けようと試みるが、女は横へ動いてそれを阻止する。
「急いだって無駄よ。もう決定しちゃったもの。」
「今の話、聞いていたのか?」
「あんなに大きい声で話してたら、嫌でも耳に入るわよ。
 ――ま、聞こえなくても、アタシは知っていたんだけど?」
「何だと?アンタ、一体、何者なんだ。」
「だから、冒険者だってば。無謀な貴方達に仕事を奪われた、哀れで貧しい冒険者よ。」

シュザンヌと名乗ったエルヴァーンは遠慮なしに家へ押し入ると、誰よりも先に椅子に座った。
「ったく、誰かさん達が“いちゃもん”付けるから、アタシのミッション撤回されちゃったのよね。」
察するに、彼女は国から鍵の処理を任された冒険者だったのだろう。
「勇んで仲間に声掛けなくてよかったわよ。要らぬ恥かくとこだったわ。」
ぶつくさと文句を零しながら、彼女は左に結った横髪を指で弾く。
「アンタも災難だっただろうが、俺だっていい迷惑だ。それで、ここへ何しにきた。」
「貴方達、バタリアへは?」
行ったことがあるか、という質問なら、全員、答えはイエスである。
ただし、ジュノへ行く道すがらチョコボで通り過ぎただけ、という注釈の下によるものだが。
「それって、殆どないってことじゃない。一応聞いておくけど、南海の小島に渡ったことは?」
今度は全員ノーであった。
「……貴方達、本当に行くつもりなの?」
「言葉を返すようだが、俺は行くと言った覚えはない。」
「貴方にはなくても、そっちの二人は行く気満々だった訳よね?」
最早、ラモンドとダヴィドに声は無い。気まずく沈黙するばかりである。
やれやれ、とシュザンヌは、わざとらしく肩をすくめた。
「それじゃ、最後の質問。船を使わず小島へ渡るにはどうしたらよいでしょう?」
彼女の問い掛けの途中で、驚いたようにマーリューシオは立ち上がった。

「船を使わない!?」

「あら、知らなかったの?国の船は使えないわよ。」
「どういうことだ!」
「あのね、国がわざわざ船出してあんなとこ行ったら、何かあるって知らせるようなもんじゃない。
 そもそもあの辺りはジュノの管轄よ。
 サンドリアのボート一隻通すのだって、そりゃあ面倒な手続きが要る訳よ。」
「だったら、ジュノで船を出してくれる者を探せば、」
「――だから、最初に言ったでしょ。他人巻き込んで行ったら、そいつから噂が広がるって言うの。
 それを防ぐ為にアタシみたいな公認に話が来たんじゃない。」
所詮、素人かとでも言いたげに、シュザンヌは呆れ顔で肘をつく。
「……アンタなら、船を使わずあそこへ行けると言うのか?」
「これはこれは、ご挨拶だこと。」
女は不敵に口角を上げる。
「アタシ位のレベルになれば、古墳を抜けるなんて容易いもんよ。」

古墳。
エルディーム古墳のことであろうか。

「その様子じゃ、貴方達に鍵の処分は絶対無理ね。」
シュザンヌは席を立つと、男達の顔を見回して手の平を差し出した。
「鍵を預かったのは誰?アタシに渡しなさい。」
ラモンドが操られたように懐を探る。抜いたこぶしの中には、あの見事な紋章の鍵が握られていた。
そのまま女へ向けて鍵を差し出そうとした瞬間、

「待て。」

その腕は、マーリューシオに引き留められた。

「何のつもり?」
「確かに俺達だけで行くのは無謀極まりないことだろう。
 しかし、ミッションの無くなったアンタが何故この鍵を必要とする?」
静かに、だが確実にマーリューシオの言葉は女を挑発した。
「ちょっと!貴方、アタシが盗るとでも疑ってるの!?」
「さあ、そこまでは言わないが?」
「これは、アタシの沽券の問題よ。直々に任されたミッションを撤回されたのよ?
 公認冒険者にとってどれだけの屈辱か、王室職人の貴方ならわかるでしょう!?」
職種は違えど、国からの仕事に誇りをもって務めているのは同じこと。シュザンヌはそう訴える。
しかも彼女は自分より優れた冒険者にではなく、何も知らぬ一般人に仕事を取って代わられたのだ。
その憤りが治まることはなかった。

「報酬なんか関係ない。これはアタシのヤマ。畑の違う貴方達はすっこんでなさいよ。」

フム、とマーリューシオは鼻を鳴らす。
「……アンタの御託はわかった。確かにこれはアンタの分野だ。」
「じゃあ、素直に鍵を、」
「だが引き受けた手前、俺達にだって責任がある。闇雲に信用して鍵を渡せる訳じゃない。」
「何が言いたいの。」

「アンタが沽券を賭けて仕事をするというなら、もう少し突っ込んだ仕事にしてもらおう。
 報酬は俺が出す。アンタには、俺達3人が無事に行って戻れるよう護衛してもらいたい。」





バタリアとはモシュリー半島の一帯に広がる丘陵の名だ。
至るところが小山で盛り上がり、故に丘陵と呼ばれている訳であるが、
実はこれらは全て人の手によって作られた塚山群である。
とはいえ、現在では地表は緑に覆われ、人の手の跡は景色に薄くなっている。
それもそのはず、塚を作ったのは古エルヴァーン族で、既に彼らは歴史の中だけにいる先達なのである。
唯一、未だ自然に拮抗し人の気配を匂わせるのは、随所に見える石洞の数々だろう。
それらは塚山の、バタリアの地下に広がるエルディーム古墳の入り口なのだ。

ふう、とチョコボの背を降りて先ず息をつく。
長い道のりだった。
「こんなところで疲れてちゃ、後がもたないわよ。」
くたびれた男達に比べ、彼女だけはぴんしゃんとした立ち姿を見せている。
「やっぱり、貴方達はここで帰る?」
鼻で笑うような言い草に、マーリューシオ達もむきになって姿勢を正した。
「……なんだか、潮の匂いがする。」
「ええ、すぐそこは海だもの。」
ダヴィドの呟きに、シュザンヌが頷いた。
「そうか、この辺りの漁村が集まって立国したんだったな。」
まだ新しいその国のことを思い出し、マーリューシオも話に加わる。
小国には一度だけ訪れたことがあるが、二つの大陸を結んだ場所に位置するだけあって
様々な種族が集っていた。特にタルタル族を見たのは、あれが初めてのことだ。
「それじゃ、中へ入るわよ。」
冒険者の先導に、職人達も続いた。

「ちょっと、気味が悪いなあ。」
石の階段を下るに連れて、徐々に空気が冷えてきたようにも感じる。
祖先の眠る墳墓なのだから恐ろしく思うのも罰当たりな話だが、しかして生は死を厭うものである。
案外、人は俗な性質をしているのだ。

突然、道が二手に分かれた。

「これはどっちだ?」
「どっちも繋がっているんだけど、そうね。とにかく南を目指して頂戴。」
シュザンヌは簡単に言うが、最早、男達に方角など判っていなかった。
「……職人が磁石なんて持ってるわけないか。渡しておくわ。」
「どうも。」
二股は左へと進んだ。

そう言えば、と思い出したようにマーリューシオが口を開く。
「俺達が鍵を埋めた証拠は、何か必要なのか?」
彼らに王国の立会人は付いていない。
「ああ、それなら一応、」
ラモンドは鞄を漁ると、土の塊のようなものを取り出した。
「粘土か?」
「そうだ。小島には風変わりな冒険者の碑があるらしくてな、それを写してくるよう言い付かった。」
「風変わりとは失礼ね。アイアンハートは素晴らしい人よ。」
耳慣れぬ名の響きに、件の冒険者はエルヴァーンではないと図り知る。
「彼が50年前に地図を遺してくれたお陰で、今の世の発展があると言えるんだから。」
「ふうん?まあ、そのアイロンなんとかさんもご苦労なこった。」
大した興味も無く聞き流すと、マーリューシオは地図を開き
――ふと気付いて、「この地図も作ったのか?」と首をかしげた。

「あれ、おかしいな。」
道なりにそろそろ四つ角があってもおかしくないのだが、見えるのはただの一本道である。
「……そっか、忘れてた。」
「?」
「一般人とはいえ、仲間がいてよかったわ。ちょっと頼みがあるの。」

実は、このエルディーム古墳には侵入者を拒むための罠が設置されているらしい。
難解に伸びた造りもその所為だが、一番の大仕掛けは扉と連動したスイッチの存在である。

「その操作で向き合った扉が同時に開くの。常に開いている扉は2枚だけ。
 北と南が開いたら西と東は閉まるって寸法よ。」

今から自分が扉を開けにスイッチへ向かう。
三人は先へ進み、奥にあるスイッチを再度動かして自分を迎え入れて欲しい。
冒険者の提案に、男達は黙って従った。

シュザンヌの手筈で南への通路が出来た。
彼らが進んだ頃合を見計り、再び背後の扉が閉まる。スイッチが元に戻ったのだ。
「少し、おっかないな。」
「ああ……。」
道に通じた者が傍にいないだけで、急に不安が湧き起こる。
小憎らしい物言いの冒険者だが、彼女の存在はやはり頼もしかった。
「――行くか。」
男達はシュザンヌの言い付け通りスイッチを目指した。

「広場を突っ切るな、って言ってましたっけ。」
ダヴィドが確認に声を出す。
「落とし穴があると言ってたな。端を歩け、と。」
壁に手をつき、そろそろと忍び足で三人は進む。
なにもそんな及び腰になることはないのだが、弱気が彼らの挙動を怪しいものにした。
「肝試しかよ。」
「似たようなもんかも。」
視線を向けた階段の奥に、石のプレートが見え隠れする。
「あった、あれだ。」
三人はスイッチを見つけた喜びに石段を駆け登る。
刹那、降りかかる熱い痛みに、男達は悲鳴を上げた。

「どうしたの!?」

静寂を突き破る三人の声に、驚いた女が叫んで聞いた。
「なんだ、化け物が!」
「うわあ!!」
慌てる職人達は初めての敵と痛みに逃げ惑うばかりで、要領を得ない。
「いいから、扉を開けて!!」
「こいつが邪魔して先に進めない!」
「とにかく開けなさい!じゃなければ、助けに行くこともできないのよ!!」
女の怒号に、マーリューシオは決死の覚悟で飛び込んだ。
せめて彼から敵の目をそらそうと、ラモンド達は荷物や小石を赤く燃え盛るそれに投げつける。
痛い。
化け物の発する熱気がチリチリと皮膚を焼く。
だが、躊躇している暇は無い。マーリューシオは目の前のスイッチに手を掛ける。
「熱っ!」
焼けた石の温度に一瞬置いた手を引っ込めるが、男は痛覚を振り切ってスイッチを一気に押した。
――これしきの熱に、鍛冶と彫金で鍛えた手が負けて堪るものか。
「よくやったわ!!」
扉の動く音と、駆ける女の声が古墳に響く。

「ボムめっ!」

軽快な足音が間近に聞こえていたが、突然耳から気配が消える。
「シュザンヌ?」
訝しんだ男達は視界に冒険者の姿を探す。――次の瞬間、
やあっ、と短い掛声が鳴って、頭上から女が敵目掛けて槍を突き立てた。
「跳んだ……?」
この石室で、天井も気にせず跳んで掛かるとは随分な無鉄砲ぶりである。
「デューク!」
女の呼び声に、何処からか蒼い突風が現れ敵を薙いだ。
双翼を広げて羽ばたくそれは――男達にとって初めて見る小竜。
「なっ!?」
「皆、離れなさい!」
指図に従い、三人は急いで石段を駆け下りる。だが、彼女は大丈夫なのだろうか。
「アタシの心配なんて、随分と余裕があったもんね。」
見守る視線を感じて、シュザンヌはにやりと笑った。
「さ、団長の下で揮った腕を見せるわよ、相棒!」

ラスト・ドラグーン・エルパラシオン。
それはランペール王より絶大な信頼を賜った騎士団長の通り名で、当代唯一の竜騎士と言われている。
だが、その彼も、今はもういなかった。
内戦が平定された数年前、王に命ぜられた遠征先において消息を絶ち、帰らぬ人となったのだ。
「あの女、竜騎士だったのか……?」
とすると、伝え聞く話と筋が違う。
エルパラシオン以外、竜を持った騎士は王国に存在しなかった筈ではないのか。

男達の疑問を他所に、女騎士と槍と彼女の相棒が放った火炎は、
瞬く間に溶岩に似た異形の怪物を打ち破った。

「アタシについて、国に情報はないわよ。」
わざとトラップの穴に落ち、小島へと続く道へ降り立つと、シュザンヌは己の素性を明かした。
「アタシは正規軍では弓兵をしていたわ。でも、団長に憧れてね、竜騎士になるべく団を脱けたの。」
騎士を辞めた後、冒険者として竜を探す旅に出た。
念願叶い、彼女が竜と契約したのは、奇しくも内戦平定に繋がる戦いの直前だったと言う。
「騎士団に復活する間もなく、戦闘が始まったわ。だから、アタシは冒険者のまま私的に参戦した。
 それでも、竜を連れて戻ったアタシに、団長はとても喜んでくださった……。」
己の竜に優しく眼差しを向け、シュザンヌは遠い日に思いを馳せる。
「結局、未だに冒険者を続けてるんだけど、これはこれでアタシに合ってるのかもね。」

――そんなことより、そろそろ出口よ。

先導する彼女の指が、上り坂の先に光が溢れるのをさし示した。



皆の見詰める中、マーリューシオによって黄金の鍵はその姿を地中に潜めた。
こうして埋めてしまえば、他人のものと割り切っていても感慨深いものがある。

さらば、俺の初作品よ。
お前は捨てられたのではない。
国の宝を護る為、お前が作られた意義を全うする為、ここに身を投じるのだ。
ここなら、何もお前を脅かすものはない。安心して眠るといい。

掘った穴に土を被せようと手を払った途端、ダヴィドがそこに割り込んだ。
「あ、あの、これ、ギルドに融通つけてもらってきたんです。」
見れば、青年は男に細い苗木を差し出している。
「良かったら、植えてください。」

きっと木の根が、悪漢から鍵を守ってくれる筈です。

「ああ。」
マーリューシオは若者の手から苗を受け取ると、丁寧にそこへ差し入れた。

「石碑と言うのは、あれか?」
ラモンドが海沿いに平たいモニュメントを見つけて、傍へ寄る。
男達は黙って、偉大な冒険者の言葉に目を向けた。
読んでいるうちに、様々な思い出が脳裏に浮かんでは消えてゆく。
最近のこと、昔のこと。嬉しかったこと、腹の立ったこと、悲しかったこと、そして。
「……結構、人生は楽しいよな。」
ぽつりと呟いてから、気恥ずかしさにマーリューシオは視線を落とすが、
「ああ、楽しいな。」
友人は真面目な顔でそれに頷いた。

小島からの帰路は、行きの苦労が嘘のように短かった。
男は振り返り、来た道を暫く眺めていたが、仲間達の声に呼ばれて日常へ帰っていく。

何十年も先の未来。
彼らの立つバタリアが戦場となり、豊かな森は全て焼けて荒野となることを。
攻防で倒れた多くの兵がその古墳に埋葬されることを。
そして、その集った無念がエルディームを悪霊跋扈する呪われた地へ変えることを。
――彼らには何一つ知る由が無い。

それは全て、次の世代の話である。





王室彫金師として、マーリューシオは多くの作を世に遺した。
勿論その中には受勲を賜るほどの品も含まれていたし、些細な補修加工という仕事もあった。
しかし、彼の腕を知る人は皆、こぞってその紋章の素晴らしさを口にする。
彼の手による紋章は、それまでの職人と寸分違わぬ刻みでありながら、どこかしら躍動感に満ちていた。
「本当は、個性なんか出ちゃまずいんだよ。」
男は謙遜ではなく、本心から己の刻みを否定する。
王国のシンボルに個人を連想させてはならない、というのが彼の持論だ。
「まだまだ先代の域には及ばないんだよなあ。」
かつての黒髪も、今ではすっかり白く色を移ろえている。
彼も年をとったのだ。
「なあ、マーリューシオ。」
「うん?」
「お前、弟子は取らないのか?」
同じように年を重ねた親友の問いを受けて、老人は苦笑に頬を緩めた。
「誰かに、この国で彫金をやらせようってのか?
 とまあ、冗談はさておき、次にはぐれる奴は俺のいる間には出てこぬだろうよ。」
「どうして判る?」
「さあ、なんとなくな。」

――なんとなくついでだが。
マーリューシオは独り言のように語り続ける。
「次の奴は……女だな。しかもやっぱり、ここには現れねえや。」
男の目には、知らぬ国で知らぬ種族に育てられる娘の姿が見えている。
だが、それはひたすらに遠い。
「そいつが出てくる頃には、この国も少しは変わっているといいんだけどな。」
老人達は薄く笑い合うと、もう一人の友人のことに話を挿げ替える。
あの気弱な仲間は、一足先に鬼籍へ名を連ねてしまった。
「最近、あの古墳へ行ったことを思い出すよ。」
ラモンドが言う。
ああ、あれは楽しかったな、とマーリューシオも破顔する。
「いつかまた、皆で馬鹿なことが出来ればいいな。」
「すぐに出来るさ。」
そう言うと、老人達は高らかに笑い合う。
世間には戦争前のキナ臭さが漂っていたが、最早彼らにとってはどうでも良いことのようであった。



サンドリア王国に、今も昔も彫金ギルドはない。
しかしクリスタル戦争よりも以前、サンドリアには王室の為の彫金師が存在した。

――だが、今となっては全てが昔話である。














*参考:バタリア丘陵の石碑文(バレ)

「 ここには無数の塚山がある。
 伝説によると、我らの先祖が女神によって創られ、
 最初に降り立った地が、ここなのだそうだ。
 はるか昔から、死期が近づいたエルヴァーン族は、
 この地を訪れて最期の時を待った。
 女神に近づきたい一心で、無数の多族の巡礼者も、
 長旅の末に、この地で果てた。
 厚い信仰心は美徳だ。無欲も賞賛に値する。
 しかし、私はあえて言おう。まず自分の生を楽しもう。
 他の生を尊重しよう。信仰は、その次でも悪くない。
 そう、ガルカの友人にも言ったら、笑われた。
 人生短き者は、考える暇も無いから、それもよかろう。
 しかし、長く感ずる者には、色々ある。
 迷いもまた多いのだ、と。
 それもまた真なり、だ。
 天晶759年 グィンハム・アイアンハート 」



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